美そあみか -bisoamika-

AIに「母からの最後の手紙」を書かせたら、母が別人になった

先日、ChatGPTにこんなお願いをしてみた。

 

「私の母が私へ宛てた最後の手紙を書いてください。

小説のように綺麗すぎる文章ではなく、現実にありそうな言葉で」

 

これまで私はChatGPTに、母の話をかなりしている。

・母との関係。
・子どもの頃のこと。
・今の介護のこと。
・兄弟とのこと。

だから、そこそこ「うちの母らしい手紙」が出てくるんじゃないかと思ってた。

 

出てきた手紙を読んだ。

 

……。

 

いやいやいや。

 

この人、誰?

 

ものすごく反省している🤣

「あなたは子どもだったんだから」
「言えないようにしたのは私だったのかもしれない」
「お姉ちゃんなんだから、はもう終わり」

みたいなことを言っている。

 

いや、言わない言わない。

うちの母は、そんなこと言わないw

 

最期だからって、突然50年分くらい自己理解が進んでいる。

どうやらAIは、母を最終回仕様にアップデートしてしまったらしい。

母なら、まず「してあげたこと」を話す

 

「これは言わないなぁ」とChatGPTに返してから、ふと思った。

じゃあ、本当の母なら何を言うんだろう。

すぐに思い浮かんだ。

 

「してあげたことシリーズ」だ。

 

母には、私にしてあげたこととして、何十年経っても語る話がいくつもある。

 

たとえば、私が小学一年生のとき。

私はテスト中に隣の子に答えを教えていたらしく、

自分の問題をやる時間がなくなって、0点を取った。

母は家で。もう一度、私に問題をやらせた。

すると満点だった。

 

そこで母は学校へ行った。

「この子は本当はできるのに、0点なのはおかしい」

と抗議したらしい。

 

さらに、

「教育委員会の知り合いにも話します」

と言ったところ、教頭先生が謝った。(モンスターペアレントじゃん!)

 

……というところまでがワンセット。

私はもう58歳なのだが、この話は現役である。

母の記憶の中では、昨日のことくらいの鮮度で保存されている。

 

ほかにもある。

小学生の頃、私がいじめられていたことに、母はいち早く気づいた。

そして学校に文句をいいに行った。

 

これも母の中では、

「あなたがいじめられていた」だけでは終わらない。

「お母さんが気づいて、学校に言いに行った」

までが一つの物語なのである。

 

小学5、6年生くらいの頃には、父が突然、「この子は自閉症じゃないか」

と言い出したこともあったらしい。

 

学校まで交えた、ちょっとした騒動になったそうだ。

そのとき母は、「そんなことはない!」と主張した。

そして今でも言う。

「だからあなたは今、普通なのよ」

 

……。

 

お母さん。

あなたが否定したから自閉症じゃなくなった、みたいなシステムではないと思う🤣

 

母は、私を守っていなかったわけではない

 

こうやって書いてみると、不思議なことに気づく。

私は長いこと、

「母は、私の気持ちをわかってくれなかった」と思ってきた。

これは今でも変わらない。

 

でも、

「母は私を守らなかったのか?」と聞かれたら、それも違うのかもしれない。

 

学校がおかしいと思えば、学校へ行く。

娘がいじめられていると思えば、学校へ行く。

夫がおかしなことを言っていると思えば、反論する。

 

母は、戦っている。

ものすごく戦っている。

 

考えてみれば、母はいつも何かに怒っている人だった。

・不公平なこと。
・納得できないこと。
・ちゃんとしていない人。

何かに腹を立てると、とても行動力がある。

 

もしかすると母は、不安とか悲しみとか心配とか、

そういう気持ちを「怒り」に変えることで動ける人なのかもしれない。

 

娘が心配。だから話を聞く。ではなく、

娘がこんな目に遭うなんて、学校は何をしてるの!…となる。

 

母なりの「守る」は、そういう形だったのかもしれない。

 

でも、「守る」と「わかる」は違う

 

ここが、たぶん私と母の間にずっとあったズレなのだと思う。

 

母は、「私はあなたのために、こんなことをした」と言う。

私は、「そうだね」と聞き、だいたい、それで終わる。

 

「でも私は、あのときこう感じていた」とは、あまり言わない。

言っても仕方がないことを、長年の経験で知っているからだ。

 

母には母の理屈があり、そして母は強い。

こちらが何か言えば、

「あのときはこうだった」
「だってあなたはこうだったでしょう」
「お母さんはこうしてあげた」と、次々に証拠資料が提出される。

たぶん私は、子供の頃から学習してきた。

 

この裁判、勝てない🤣

 

だから、「そうだね」で終わらせる。

 

でも、「そうだね」は、「お母さんの言う通りだね」という意味ではない。

「あなたはそう覚えているんだね」くらいの意味なのだと思う。

 

母にとって重要なのは、「私は娘のために行動した」ということ。

私の中に残っているのは、「そのとき私はどうだったか」ということ。

その二つを一致させようとすることを、私はいつの頃からかやめた。

 

だから母は今でも、

「お母さんはちゃんとあなたのことを見ていた」と思っているだろうし、

私は、「うん、そうだね」と聞く。

 

それでいい。

 

少なくとも、今の私は、母に私の人生の答え合わせをしてもらう必要はない。

 

どちらかが嘘をついているわけではない。

見ている場所が違う。

 

だから、母に、「私は大切にされていなかった」

と言ったとしても、たぶん母には理解できない。

 

「何言ってるの! 一年生のときだって、お母さん学校に行ったでしょう!」となり

証拠資料その1が、即座に提出される🤣

そして、それは母にとっては本当に「愛情の証拠」なのだろう。

 

「愛している」ではなく、「してあげた」

 

母から、「あなたを愛している」

なんて言葉を聞いた記憶は、ほとんどない。

でも、

「お母さんはあなたに○○してあげた」は、たくさん聞いた。

 

以前は、それを単純に恩着せがましいと思っていた。

もちろん、今でも「それ何十年前の話よ」と思うことはある。

 

でも今回、AIが、あまりにも母らしくない「最後の手紙」を書いたことで、逆に気づいた。

 

もしかすると母にとって、

 

「してあげたことを覚えている」こと自体が、愛情だったのかもしれない。

 

だから母からの本当の最後の手紙には、

「あなたは子どもだったのに、ごめんなさい」なんて書かれないだろう。

 

たぶん、

「お母さんはお母さんなりに、あなたにできることはしてきました」と書く。

そして、「一年生のときだって……」と、また0点の話が始まる🤣

 

母を「いい母」「悪い母」に分けなくてもいいのかもしれない

 

母について考えるとき、私は長い間、

・大切にされたのか、されなかったのか。

・愛されていたのか、愛されていなかったのか。

そんなふうに考えていたような気がする。

 

でも、もしかすると、そんなにきれいに二つには分かれない。

 

母は私を守った。

でも、私の気持ちを理解するのは苦手だった。

 

私のために行動した。

でも、その行動が私の欲しかったものとは異なった。

 

母なりには愛していた。

でも、その愛し方で私は傷つくことがあった。

 

全部、同時に本当なのかもしれない。

 

そう考えると、母のことが許せる、とか。

過去が全部きれいになる、とか。

そういう話ではない。

 

ただ、

 

「この人は、こういうふうにしか愛せなかったのかもしれない」

 

と思うと、今まで意味不明だった出来事が、少しだけつながる。

 

そして、この話をしていて、もう一つ思い出した。

母が昔から何度も何度も私に聞かせてきた話がある。

 

母自身が、自分は親に可愛がられていないと拗ねたときのこと。

祖父は母に、5本の指を見せたそうだ。

そして聞いた。

「この中で、いらない指はどれだ?」

母は答えた。

「ない」

すると祖父は、

「だろう」

と言った。

 

母は、この話をずっと覚えているし、何度も何度も話す。

 

そして、私は今になって思う。

もしかすると私は、この「5本の指」の話を、

自分が思っていた以上に深いところで受け取っていたのかもしれない。

 

愛される、愛されない、よりも。

必要か、必要じゃないか。

いるか、いらないか。

 

そういえば私はずっと、「誰かの役に立つこと」を、とても大事にしてきた。

……あれ?

もしかして、この話。

思っていたよりずっと根が深い?

 

次は、「5本の指に、いらない指はない」という母の話から、

私の中にある「必要とされること」について考えてみようと思う。

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